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2004.1
パスツール、リービッヒ、鈴木梅太郎−人工乳開発の先駆者達

 19世紀中頃からの科学技術の進歩は、人工乳に飛躍的改善をもたらしました。
 フランスの微生物学者・パスツールがワインやビールの低温殺菌法を確立したのは、19世紀中頃のことです。この方法が牛乳にも応用されるようになり、牛乳の衛生的品質が大いに改善されました。このことをアメリカの小児科医フォーモン教授は、ミルクのソフトカード化、ビタミンの利用と共に、人工栄養改善における最大の貢献の一つに挙げています。

 同時代のドイツの大化学者リービッヒは、食品の化学分析法を確立、これを乳汁の分析に応用し、一口に乳と言っても、人乳と牛乳ではその組成に大きな相違のあることを認識するようになりました。その結果彼は、「たんぱく質やミネラルの多い牛乳を人乳に近づけるために、牛乳を希釈し、不足する熱量を糖質で補う」という考え方を編み出しました。この考え方こそ、現在の調製乳の始まりです。

このような考え方に立ってリービッヒは、1867年に「完全乳児食」と名づけて世界最初の市販育児用乳を作りました。しかしこの試みは、「完全」とは程遠いものでありました。見掛け上の主要成分を近似させただけでは、栄養生理学的に母乳と同じ効果が得られないことは、今日の知識から見れば当然ですし、いま一つの大きな要因は、ビタミンや微量元素などの微量栄養素に関する知識が欠如していたことにあったのです。

 20世紀に入り、農芸化学者鈴木梅太郎博士のオリザニン(現在のビタミンB1)の発見(1910年)に始まり、各種のビタミン類や銅、亜鉛などの微量元素の栄養素としての必要性が続々分かってきました。これらを微量栄養素と言います。

 鈴木博士の研究のきっかけには、脚気問題があったのです。当時、人工栄養に限らず母乳栄養においても脚気は大問題で、明治・大正時代の児科雑誌(現日本小児科学会雑誌)には、母乳中毒症、人乳中毒症、乳児脚気、脚気母乳、不良母乳などという言葉が頻繁に見られました。

 その頃1918年(大正7年)、乳児死亡率が1,000人当たり188.6、つまり産まれた赤ちゃんの6人に1人以上が1年以内に亡くなるという最大の数字を示しています。江戸時代の乳児死亡率が20%位であったという推定があるので、江戸時代と大差なかったことになります。現在の乳児死亡率は1,000人当たり3.1ですから、今日の目から見れば驚くべきことです。人工栄養はもちろんですが、母乳で赤ちゃんを育てることすらも、決して容易なことではなかったのです。
当時の乳児栄養がいかに大変なことであったか、考えさせられます。


乳児死亡率グラフ
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